震災を胸に刻む元メジャーリーガー
元メジャーリーガーの岩村明憲さんは、かねてより太陽光発電に興味があったようで、自身も太陽光発電所の購入を予定している。なぜか。
岩村明憲さんは1996年にドラフト2位でヤクルトスワローズに入団した。ワールド・ベースボール・クラシックに日本代表として出場し、2度の世界制覇に貢献するなど、走・攻・守三拍子揃った内野手として活躍。2007年からは活躍の舞台をアメリカメジャーリーグへ移し、11年に日本球界に復帰して東北楽天ゴールデンイーグルスに在籍すると、2014年のシーズン終了後、ベースボール・チャレンジ・リーグ(BCリーグ)福島ホープスの選手兼監督に就任した。
そんな岩村さんはこの日、太陽光パネルメーカー、アンフィニの小寺直人常務に連れられ、アンフィニが所有する太陽光発電所の見学に訪れた。太陽光発電所の購入を予定しているというが、なぜ太陽光発電に興味を持ったのだろうか。岩村さんはその経緯をこう語る。
「アメリカから戻ってきた年に東日本大震災が発生し、被災された方がすごく近くにいた。生活していくうえで電気は必要。楽天イーグルスの本拠地でも、電源を使ってもらった。携帯電話が1人1台の時代、充電があるかないかでその人の安否が分かる。原発に100%反対とは言えないが、ないにこしたことはない。そこで自然で安全なエネルギーをつくるとなれば、ぱっと浮かぶのは太陽光発電だ。すごく興味があり、アンフィニの小寺直人常務に話を聞いた。扱い方を間違えなければ、必ず国民の味方になるエネルギーだ」。
さらに岩村さんは、「各家庭で、自分たちの電気は自分たちでつくるようになれば、間違いなく原発はいらなくなる」とも述べる。
震災の被害を間近で見た岩村さんは、復興に向け、一助になりたいと考え、楽天イーグルスを退団した後、新天地として福島ホープスを選んだ。
理由について、岩村さんは「楽天イーグルスに在籍していたときに東日本大震災を経験したことが福島に来た要因。地元の愛媛県にも独立リーグのチームはある。野球に携わるにしても福島には来ていなかったかもしれない。ただ震災を経験したことは自分の運命。自分のできることをやっていく」と話した。
そんな岩村さんが太陽光発電に惹かれたのは、自然の流れだったのだろう。太陽光発電は原発に依存しない社会を目指すために1人ひとりが取り組めるものだからだ。
岩村さんを太陽光発電所に案内したアンフィニの小寺直人常務は、「岩村さんはブラウン管の中の人だったが、お会いしてみると、福島への思いや選手を思いやる気持ちなど、熱いものをお持ちの方だと思った」と印象を述べる。
雇用を創出して復興を支援しようと、アンフィニは福島県楢葉町に太陽光パネル工場を建設。そんなアンフィニに対して、岩村氏さんは共感を覚えたのだ。岩村さんはいま、太陽光発電所の建設を通じて、震災を胸に刻もうとしている。
「アンフィニさんが福島の方々を雇用されるのは、県にとっても大きなこと。マンパワーには人を裕福にする力がいくらでもある。アンフィニさんが福島県楢葉町で地元の方を積極的に雇用されていることの意義は大きい。今は100人でも、200人、300人と増えていくと、地元で活力が生まれる」(岩村さん)
最後に岩村さんは、福島への思いをこう語った。「福島に来て4年目になるが、震災当初に比べて元気になってきている。同時に風化させてはいけないという焦りも多分ある。その辺りを色んな形で発信したい。様々な地域で大変な思いをされている方がいるというのは、絶対に忘れてはならない」。